NNの説明会か何かで、良い資料をもらってきたヨメハン。
ちゃんと考え方を丁寧に書かなければだめだって書いてあるよとか、
過去問ばかりやってもダメだってよとか、
いろいろぽーやんに言うてます。
で、最後の方に、これが出る!みたいなところで、社会では、やっぱ科学技術の限界、これしかないっしょ、とのこと。
温暖化とか、地球環境との共生とか、まぁ、そういうことをきちんと踏まえて書けよ、という。それはそうだなぁと。
で、ぽーやんのためにいくつか作ってみました。
自分で書いたらハチャメチャになるだろうから、いくつかのパターンを作っておいて覚えさせておいてやれば、問題に応じて加工するだけで行けたり、そうでなくても何かの役には立つだろう。
いろいろ書きました。マイクロプラスティック問題や循環型社会、エシカル消費。わたしたちができること。みたいな。
一番出そうだぜと言う科学技術の発展について、いちばんやさしいものとしてはこれ。
科学技術の発達により、使用するエネルギーが増え、地球温暖化の原因となる二酸化炭素の排出量が増え、環境に悪影響を及ぼす物質の排出量も増えた。このままでは、自然との共生が困難になってしまう。
便利さや快適さばかりを求める生活のあり方を見直すべきである。私たちも、エコバックやマイボトルを持ち歩く、再利用できる製品を選ぶ、ごみの分別を心がける、過剰に包装された製品を避ける、家電製品の無駄な利用を避けて待機電源を切ったり、エアコンを効かせ過ぎないことで、地球環境と共生できる持続可能な生活のあり方を習慣付けなければならない。
まぁ、おりこうさんですねーというような感じの答案かな。書くべき要素はもっと詰め込んでおいてもいいだろうけど、一番易しいバージョンとしてはこんなもんじゃなかろうか。
しかし考えてみるに、脱炭素は科学技術によって何とでもなる。二酸化炭素とかそういった物質的なところで科学技術の限界があると考えるのは、科学技術をあまりにも軽く見てやしないか。温暖化問題を軽視するわけではないが、科学技術の限界を画するようなものとはちょっと思えない。地球環境との共生という漠然としたものも同様。環境への負荷を減らすというのは科学技術の退却場面ではなく、むしろ出張ってきてもらわないといけない場面やないか。
しかし、シンギュラリティ―の話に行くと、ちょっと飛びすぎかなとも思われ。
で、以下のように結論しました。
環境問題の解決、生態系との共生は、例えば空気中の二酸化炭素の量を減らす技術が開発・実用化されれば可能になるかもしれない。
しかし、科学技術の行き過ぎた発達は、人が人間らしく満足して生活すること(生活の質・QOLを保つこと)と矛盾するのではないか。
極端に言えば、医療技術の発達によって人が半永久的に生きることができるようになれば、子どもを産み育てるという喜びは持てなくなるし、農産物や工業製品が自動で生産されるようになれば、物を作り生み出すという喜びもなくなってしまう。
科学技術の行き過ぎた発達は、暮らしを便利で快適なものにする一方で、人から人間らしい「生きがい」や「喜び」を奪ってしまうのではないだろうか。科学技術の発達が人間の人間らしい生き方や幸せと矛盾するようになった時、そこに科学技術の限界があるのだと思う。
ぽーやん、咀嚼しろ。
繰り返し読んで咀嚼しろ。
無駄にはならんと思うでー。