ぽーやん、凡人につき、一を聞いて十を知ることはなく十回言って一を理解した感じになる。
いやいや、我々はみんなおおむね凡人であって、同じようなもんだと思いますけど。
算数や理科の難しい問題は、思考系よりはむしろ技術系の方が理解・習得に時間がかかるようです。
しかしこれ、やっぱ、その場で何とか理解してもらおうとしても無理な話で、何度も繰り返すほかないと(ようやく)気が付きました。
その日のうちに自力でできるところまで行こうと頑張っていた時もありましたが、もう、お互い疲れ果てる。しかも、理解は表面的なものにとどまる。効率、悪い悪い。
なので、繰り返すのが一番かな。問題によって繰り返しの頻度は変わりますが。
初回:できない。説明するも、何言ってっか分かんねぇよ、何なんだよこれ。で、おネムリに就かれる。
起きろ、まだ7時やぞ。
2回目:解けることがある。なんで?寝ながら聞いてたんけ?
数字を覚えていることがある。ムズ問でも答えは6とかになるやつ。いやいや、こいつはちょっと時間を置いてからやるか。数値替えを作ってやるか。
ほとんどはできない。そりゃ、寝てたんだからできるはずがない。2回目の説明。まだ分かってくれない。ただ、2回目であることから、分かっていないとも言えず、かといって分かったとも言えず、こちらが分かったんだろうと善解することを期待するかのように、首をこくんこくんする。そんな気ぃ使わんでも。
3回目:できない。説明する。分かってきた気がしないでもないぜ。うそつくな。
4回目:小問1・2くらいまではなんとなかったりする。なんかこんな線とか引くんじゃなかったっけ?とようやく問題へ主体的な取り組みが始まる。説明する。なんだか、解法暗記みたいになってきていやだなぁと感じることもありますが、ふん、勉強の基本はなんでも(算数だろうが読解だろうが)暗記よ、暗記、と開き直って説明を繰り返す。
わたくしの後ろに回り込んで肩に手を伸ばし、ぶら下がったりしながら、お手並み拝見と行こうじゃないか、などと言う。今更。
5回目:ぽーやん、あ、それね、もういいよ。捨て問じゃね?
いやいや、これは手数かからへんし捨て問ちゃうし。
何とか解けることもあれば解けないことも。
しかし、こういう問題があってモノにしていないことはさすがに理解しているようで、観念して理解しようとする。
6回目:解ければばんざーい
解けないもの、あります。
7回目:それかよ、楽勝じゃん。
一緒に解き始めて、ぽーやんの方が速く解けたりすると、うれしいわん。
ぽーやん、おめぇおせぇよ、ものにしてねぇんじゃねぇの?などという。
本気で言ってるぽいのがすごい。お父様のここまでの苦労を本当にお分かりになってはおられんのですね。ある意味すごいわ、お前。
まだ解けないもの、あります。8回目以降にも。
正直、解けないままかも、と思うこともあります。
しかし、たまーにこれは捨て問やなと思うことがありますが、まだ今の時期、テストでは後回しにするとしても、やっぱ、最後までは解けるには解けるようにしておきたいと思ってしまいます。
なので、解けない問題、いっぱい溜まってます。
でも、ある問題がこうして繰り返すことによってできるようになると、別の問題もできるようになっていたりします。必ずしも一問一問つぶしていかなければならないことになるわけではないというのが心の支えです。。。
「○○(自分の名字)、これ解けるぜ。おかしいぜ。」とか言っちゃって。意外だけど、ホント、うれしい。
見えない糸で別の問題へもつながっていると期待して、やるしかないです。。。