わしが教えたる!父と子の中学受験

2022年受験の長男(ぽーやん)が麻布かどっかに入るまでのお勉強をがっつり後押し。2019年受験の長女とけは塾なしで乗り切りました。

〇を付ける

 わたくしは、ぽーやんの伴走者です。

 で、なんで親がしゃしゃり出てきてそんなことをするのかというと、それが少なくとも今は一番効率がいいと思うからです。
 子どもと大きく関わって喜怒哀楽を共にする機会ももうそんなにないだろうし。
 今は一緒にお勉強したい。
 それが合格に一番近いとも思って(しまって)います。

 しかし、効率を追求するとかえって効率を下げることということをもう少し考えなければなりませんでした。

 例えばテストか何かをやったときに、正答した問題に〇をつける必要はなく、できなかった問題にのみ×をつけるのが効率的です。
 だって、〇やら×やら真っ赤っかになっているより、解き直しの必要なものだけに印をつけておく方が見やすいですもん。
 しかし、人は〇が好き。小学生はなおさら〇が好き。
 そうすると、〇、効率的とかそうでないとかでなく、付けてやる方がいい。

 成績向上の方法はただ一つであり、できなかったことをできるようにしていくこと、覚えていないことを覚えて行くこと。これに尽きる。
 しかし、どっさり溜まった「できなかった問題」を次から次へと与えられれば、もう、嫌気がさしちゃいますよね。
 チャッカチャッカと気分よく進めていく、そんな時間があればこそ、どれ、できなかった問題、再チャレンジしてみるか、という気にもなってくるというものでしょう。

 難しい問題。頭をひねってひねってひねり倒して、煩瑣な計算を経て正解に至る問題。いくら説明されてもどうにも頭に入ってこない。20回くらい聞いて、ようやくわかったような。こういう問題の経験を積んでいくことは、高地トレーニングというんでしょうか、至極効率的なやり方でしょう。
 でも、やっぱ、お勉強自体に嫌気がさしてくることとの戦いになる。こんなの分かんねぇよ、面白くねぇよ、やる気なくなるぜ、眠いぜ、となる。
 これを乗り越えれば類題群が児戯にも等しく見えてくるぞと思っても、「苦しい今」を避けたいという思いの方が増してしまう。
高地トレーニングは強靭な精神力がなければできないものだと理解しなければならない。それを有する稀有なお子様以外のほとんどの子どもにとって、タイミングが良くなければ高地トレーニングは効率どころの話ではなくなってしまう。

 無駄話をするのは効率的ではない。でも、楽しく伸びやかにやれば、無駄話の時間を補って余りある時間を得られるだろう。

 過去問でも何でも、問題には予め目を通しておき、効率的な解法や説明の仕方を勉強しておいた方が効率的でしょう。でも、初見で一緒に解いて、同じようにむんむん言っているところを見せた方が、上から「教えられる」のではなく、「ともに学ぶ」空気が醸成される。一方的に教わる時間なんて、耐えられる時間は限られてきますもんね。

 ミスを指摘するのは必要か。テストではミスには容赦なく×を付けられてくる。
 伴走者が一々指摘しても仕方がない。惜しかったなぁーと言っていればいい。
 否定的言動は、何らの建設的効果を持たない。少なくとも精神的に幼い子供に対しては。

 ・・・日々お勉強を見ていて思います。
 超えられそうにない壁は、やはりあります。ここまではおそらく届かないだろうなぁ、と思うことはしばしばある。しかし、いたちごっこの様相を呈する中学入試問題の「進化」は、昔であろうと今であろうと同じ小学6年生が解くものであるということを忘れているのではないかと思うほどであり、自分が小学生のころに今やっているような問題なんてほとんど解けなかっただろうと思います。有限の時間の中で、個々の好き嫌いみたいなもので、届かないところがあるのはある意味当たり前だ。
 まだ夏があると思いたいし、夏にはぐんと伸びるであろうとも思いますが(そうでないと困る)、他方で、夏が意外と短いということも経験上知っています。それでも、できる限りのことをするのだ。それ以外に選択肢はない。

 親が焦ってもいいことは一つもない。小学6年生にとってあと半年というのは、自分が覚えている時間の2割以上の時間なのかな、永遠にも近い。なんだってできるようになる。そういう可能性を秘めた時間であって、焦燥感に駆り立てられる必要もない。
 叱咤激励のうち、(親の)叱咤は要らない。激励もいらないかな。
 おっしゃ、一緒にやろうぜ、そういうことでいい。
 何から始めようか。

 ×ではなく〇をつけてやろう。
 叱るのではなく笑かしてやろう。
 ミスを指摘するのではなく、できたところに目を丸くしてやろう。
 ムズイのんは、タイミングを見て小出しにしてやろう。
 あえてミスをして見せてもやろう。

 そんな感じで、のせてやろう(決意)。

 どうかわたくしのただでさえ少ない忍耐力偏差値・人間偏差値が、2月まで擦り切れてなくなってしまいませんように。