わしが教えたる!父と子の中学受験

2022年受験の長男(ぽーやん)が麻布かどっかに入るまでのお勉強をがっつり後押し。2019年受験の長女とけは塾なしで乗り切りました。

即効性のある記述対策

 先の投稿の続きのような話ですが。
 ぽーやんは書くのが得意ではないです。

 なので、いろいろ損をしています。
 書くのが得意でない原因は、書く練習の不足にあることは明らかですから、まぁ、今からでも書いて書いてとやってもらわなければならないのはもちろんですが、原因はそれ以外にもある。

 要するに、「日本語の文章」が苦手なのでしょう。これは読みの速度・深度にもかかわる大きな問題です。
 それで、先に書きましたように、理社で短文を記憶してもらうということをやることにしたのです。

 少しは今までもやっています。始めだした、というところですが。
 例えば一昨日。
 現在新たな壁として立ちはだかる公民の地方自治
 オンブズマンて誰やねん状態にそりゃなりますよね。
 記述としては、「地方自治が民主主義の学校と言われるのはなんで?」というのを何度も何度も繰り返してやりました。

 わたくしとしての解答は、「①人々が、②地方の③自分に身近な問題を、④民主主義の方法で解決しようとする経験をすることで、民主主義とはどのようなものであるかを⑤学び、⑥より大きな国の政治に関する問題についても民主主義の方法で解決する力が培われることが期待されるから。」
 もちろん、答案としての解答はもうちょい簡潔にせねばならんでしょう。冗長ですからね。
 わたくしがあえて上記のようなのを「解答」としてそのまま言えるようになってもらいたいのかと説明するために言ったのは、①は文章を書くときには(それを実際に書くかどうかはともかく)主語は強く意識しなければならないということ、②は地方自治の話をしているのだから、身近な問題というだけでは説明不足になるということを自覚してもらいたいということ、③地方の問題だろうが国の問題だろうが、身近な問題への取り組みに意味があることを正解してもらうわないといけないこと、④なぜ民主主義を学べるのかをぼやかすとかえって混乱すると思うということ、⑤「学校」という比喩についての説明には「学ぶ」という言葉・ニュアンスが必要だということ、⑥「学校」というんだから、「社会」に出て使えるものでないといけないわけで、民主主義を学べるから、では不十分で、国政を考えるにあたって、という意味合いを削ることはできないこと、などです。
 で、これを覚えきったはずのぽーやん、週末の週テストで出たらきちんと書いてきてくれるでしょうかね。
 途中、「国の政治を考えることが養われるから」などと言い出し、何が悪いのかと言い張る。いやいや、サッカーが養われるとか培われるとか高くなるとかいわんでしょ。サッカーがというんなら、うまくなる。できるようになる。考えることが養われるんではなくて、養われたり培われたり高まったりするのは、考える力、考える能力。これが日本語じゃい。こうつなげないと気持ち悪いという感覚は覚え込んで使い込んで身に沁み込ませてもらうしかない。この場面では議論はしない。読解でも出てきたっしょ、「絶対語感」みたいなやつ。
 これは、日本語力の基礎になるはずで、記述にも効くはずだ。というか、記述を含めた日本語の訓練そのものだ。

 さて、こうやって「短文を覚える」って、効くんやなぁと思って上記のような実践を始めたのは、NN模試とサピックスオープンでの出来事があったからです。
 NN麻布模試の国語の解き直しに4時間ほどもかかって衰弱し、あそこまでやる必要があったのかと(否定的に考えてもう解き直しに時間をかけないでいいと正当化したかった)思っていたんです。
 NN模試で、「大家さんの手ってなに?」という問題の答えとして、「・・・温かく支えてくれた心のよりどころ」みたいな解答の文章を、「もういっぺんゆうてみて」と10回ほども繰り返しやるなどしたわけです。最初のぽーやんの解答は、「出ていってもう会えなくなる大家さんの手」みたいなものだったので、いやいや、象徴的なものでしょう。どういう「意味合い」があるものだったかって考えな。などと言いながら、なんだよ、めんどくせぇな、と言われて疲弊しながら(一つの小問をくり返すのではなく、大問丸ごと繰り返すのですからもう大変でした。)。しかしやり切ったわけです。
 それでですね、サピックスオープン、「昼休み遊びってなに?」というような問題があったのですが、ぽーやん、「・・・が遊びに来ることができる、クラスの生徒たちの心のよりどころ」って書いとるんですよ。問いに対する答えとしてとっても良い抽象化がなされ、適切に「よりどころ」という言葉が用いられていると思いました。「いつでも遊びに行けるところ(若干題意を読み切れていない)」→「いつでも遊びに行けて安心できるところ(ちょっと抽象化はできているけどもうちょいかな)」→「そういう、心のよりどころ(やるじゃん!)」の順で記述の完成度(得点に直結するものと思います)が高いと言えると思うんですが、NNの解き直しを通じて文章を覚えたことで、「こういう問題は具体的に何なのかではなくて、象徴的な意味で何なのかを答えなあかんのやな」ということが強く意識され、さらには、「心のよりどころというのはこういうときに使える言葉やな」ということも頭に残っていたんだと思います。

 おお、記述対策が即効性を見せるとは!
 日本語の(入試に即した)文章のストックを新たに1000個持てば、記述力は自ずとついてくるでしょう。うは。
 そして、国語の記述問題、理社の記述問題でそれをやっていけば、メキメキっと殻を割って出てくる日が近づいてくるように思われます。うはは。
 
 算数は幸い一定のラインに達しており、勘が鈍っていくことを防ぐ必要もあるし、まだまだ入試問題に太刀打ちできるような力があるわけではないわけで、これからどんどん難しい問題に対応できるように日々継続する必要はあるけれども、算数って、意外と短期的な対策ができることも経験上分かっている。
 理社の細かい知識はいつでも詰め込めるから(もちろん並行してやらないといけないけど)、むしろリード文を素早く読解して題意に沿った記述ができるようになることの方が重要だと思っています。

 よし、算数以外の科目では、短文をたくさん覚えてもらおう。
 必ずや効果が出るはず!ちゅうか、効果すぐ出たじゃんか!
 昔の人は意味も分からずに音で文章を覚え込む勉強法ですぐれた文章を書けるようになっているのだ。
 3教科でやれば、短期間のうちにも効果が目に見えて出てくるはず!

 よし、ゴールデンウィークの中心はこれでいこう(+算数・よんまと地獄・組分け対策もしないと・・)。
 一緒にたくさん覚えよ!