うーん・・・つらかった・・・
麻布系の国語の問題の解き直しをしました。
一つ一つ、書くべきことと書き方を確認して、口頭でいいから再現してもらう。
なぜそう書いた方がいいのかを理解してもらう。
もう、大変でした。
全くとんちんかんなことを書いているものについては、当然、いろいろな話をし、そういう(大人にとって常識的な)文章の読み方を分かってもらう努力が要ります。
半ば外しているものについては、足りない部分がなぜ必要なのかを説明しなければなりません。
必ずしも素直ではないぽーやんにとって、お前はがきんちょであるから、大人の考え方をせよと言われているのも同然のこの時間は、あまり楽しくなさそうです。
でもやらんとしゃぁない。
書きたいことは分るけど、そう書くべきでないという日本語の問題。
和らげられた。ぽーやん、和らがせられた、と言い張る。いや、やっぱ、和らげられるやな。こういうものについては議論は時間の無駄じゃ。和らげる。和らげられる。そっちで使え。
ちょっとありがたい感を出すには、和らげたではなく、和らげてくれた。ありがとう感がある時には、教えてくれた、食べさせてくれた、そういう風にいうでしょ。
あと、話し言葉と書き言葉はきちんと区別するべき。
話し言葉であれば、魚釣ってきた、でいいけど、書くときには魚を釣ってきた。
要するに、主語述語をはっきりさせ(少なくともきちんと意識し)、目的には「を」をきちんとつける。「に」とか使うからこんがらがる。主語は人がほとんどだろうけど、物や出来事を主語にする場合には、最後は受け身の言葉を使わなければならない。彼女の態度に心を動かした、のではなく、心を動かされた。心を主語にすれば心が動いた。
こういうのを自在にやっておくれよ。
主語と述語を入れ替えてみるで。これで文章完成させてみ。
・・・経済的に苦しい自分たちには大家さんのくれる野菜が助けてくれ、感謝していることを伝えたかったから。
野菜を主語にすると難しくなるやろ。この場合には野菜が助けになり、みたいにせんと。
主語は人にする方が国語力がない場合には楽。経済的に苦しい自分たちが、とすると、野菜に助けられ、とすれば足りる。
みたいな話やら例題やらを織り交ぜ、一通り終わったのでよし、もう一遍振り返ってみよう、とやってみると、
和らがされたという気持ち、みたいになり、最初からやり直し。
くったくたになりました。
根気強くやってくぞー